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和寒ふるさとカレンダー2024

塩狩駅の行く末を、一つのカレンダーに託して

塩狩峠と塩狩駅

塩狩峠は北海道上川郡和寒町と比布町の境にあり、その名前は旧天塩国の「塩」と旧石狩国の「狩」から名付けられました。

1898年には、国道40号線の前身となる仮定県道天塩線が開通し、その翌年には宗谷本線の前身である北海道官設鉄道天塩線が開通、1916年塩狩信号所が設置され、1924年に「塩狩駅」に昇格、塩狩駅は当時から重要な交通の拠点でした。

塩狩駅の現状

JR宗谷本線の沿線自治体でつくる宗谷本線活性化推進協議会は、2020年3月27日、JR北海道が廃止を求めていた29の無人駅のうち、13駅について廃止を受け入れる方針を伝えました。財政難にあえぐ沿線自治体で多くの駅が廃止されましたが、100万~200万円という財政負担し駅存続に動いた自治体もあります。その一つがわが町“和寒町の塩狩駅”です。

北海道の中でも雪の多いこの地域では、除雪費等の維持管理費が掛かりますが「塩狩駅」は和寒町の大切な観光資源と考え、寄付金などを募り維持費用を負担しています。

和寒町にとっての塩狩駅

塩狩駅そして塩狩峠は、小説家三浦綾子の「塩狩峠」の舞台になったところです。塩狩峠記念館や、文学碑、小説のモデルになった長野政男さんの顕彰碑が建てられています。「和寒(わっさむ)」の名前より「塩狩」の方が有名であるという人もおり、小説や映画・漫画にもなった塩狩は町民にとっての一つのアイデンティティーです。

また、1600本のエゾヤマ桜が植えられた塩狩駅周辺は、春になると多くの観光客が訪れ、満開の桜が人々の目を楽しませてくれ、2023年に和寒町が塩狩峠公園として整備しました。

カレンダーに託す思い

私は風景写真家として、全道の自然風景や街の風景、そして自然と人々が共生している風景を抒情的にとらえてきました。特に、北海道の鉄路のある風景は、開拓してきた先人たちの夢や希望、そして苦労や努力を感じさせるものがあります。私は、この「鉄路ある風景」を守るために、塩狩駅の存続が不可欠だと強く感じています。そのため、私の作品を通して、多くの人たちに塩狩駅の現状やその重要性を知ってもらいたいと思っています。そして、共感してくれる方々からの寄付を募り、塩狩駅の存続に貢献したいと考えています。

この記事の著者

谷口 勝弘

1967年8月5日生まれ。北海道を中心に活動する写真家。小学生からカメラ愛が強く、今では多くの人々を魅了する風景写真へと昇華。特に和寒町の風景写真で知られ、その作品はふるさと納税の返礼品や士別市の道の駅での販売など、多方面で愛されている。彼の写真は「癒し」をテーマに、日常の風景を独自の視点で切り取る。

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