**前田真三と私の写真家としての歩み**
塩狩峠とカレンダー、一見つながりはなさそうだが、私が人間としても影響を受けたある写真家の物語に起因する。
**1. 前田真三との出会い**
前田真三は、日本の風景写真界に革命をもたらした巨匠として知られている。私が彼の作品に初めて触れたのは1990年、美瑛町に建てられたばかりの拓真館であった。私は東京の共同テレビジョンから札幌の映像制作会社「キタデンプロダクション」に入社したばかりの頃、STVの番組で「北の群像」という情報番組での取材で美瑛町を訪れた。当時の私はというと、東京から北海道に戻ってきて、共テレ時代なかなか写真を撮ることができなかった反動で、風景写真に目覚めていた。取材で訪れていた美瑛町はとても美しい丘陵があり、見るものすべてを魅了するような風景だ。創設された拓真館も取材対象で、前田真三の写真の美しさの中にも迫力があり、自然風景という中にもそこに息づく生産者のたくましさを感じる作品群だったのを覚えている。その後は休みの日には美瑛に通って、前田先生のような写真を撮ることに没頭していた。
**2. 前田真三の影響**
前田真三の生き様や作品には、彼の情熱や挑戦心が詰まっている。彼は会社員時代に3回目の転勤命令を受けた際、会社員生活を捨てて写真家としての道を選んだ。彼のその決断や、カレンダーやパンフレットを中心としたフォトライブラリービジネスへの挑戦は、私にとって大きな影響を与えた。彼の作品や生き様から、私は常に新しい挑戦の大切さや、自分の信じる道を進む勇気を学んできた。
**3. カレンダー製作への挑戦**
ある日、前田真三の生誕100周年を記念した写真展のニュースを目にした。その写真展で展示されていた彼のカレンダー作品は、その美しさと迫力で私を圧倒した。その瞬間、私もカレンダー製作に挑戦しようと決意した。しかし、地元の印刷会社との相談で、企業向けのカレンダー製作はコストがかかることを知った。そんな中、塩狩駅の廃駅問題や、和寒町のふるさと納税のニュースを知り、私は新たなアイディアを思いついた。地元の風景や鉄道をテーマにしたカレンダーを製作し、その収益の一部を塩狩駅の維持費用に充てること。私は、このプロジェクトを通じて、地域の魅力を伝えるとともに、地域の課題にも取り組むことができると感じたのだった。